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どうしてbarabaraにするのか;わたしなんか、感染性腸炎の患者さんの吐物や摘便後にカレーライスを食べたり平気で、よく奥さんにやめろ!と叫ばれるが、死体だけはどうも。患者さんがなくなったりして骸になってしまうと、テレビでよくやって、亡骸に取りついたり、撫ぜたりして家族がなくシーンがあるが、あんなことはとても出来ない。生きた細胞と死んだ細胞では手触りがまったく違い、「三途の川」の此方彼方を厳然と感じるからだと思う。だから死体を特に首から上を鋸、それもそのへんのやすものの木工用の、のこぎりで、切るなんてこと、そういう行為が可能なこと自体がよくわからない。
集団ならある程度わかる。誰かが始めれば、のこりのものは手伝わざるを得ないからだ。鮫は死ぬとすぐ、細胞からアンモニアがとけ出てきてひどい匂いがする。だから、匂いがしてもドアを開けるなとか、、実際にそういう匂いが日が経ってからして来て、気づくとか、そういうことが「自然に」行われていくことが理解出来ない。たぶん,大多数の医師は沿うじゃないかと思う。法医師やそういう仕事の方は別として。
また、ゲームの様にリセットしてまた生き返ると思ってるんじゃないかという軽薄な理屈にもついていけない。第一、発覚直後反省もしてないほど、憎悪している相手がリセットされれば、今度はやられるのは自分だ。ありえない。
基本的に、日頃から怨んでいるから他殺、または自殺という考え方にはどこか「不自然さ」があるように思っている。それは家族間であろうと不特定多数であろうと、犯人の口から(自殺の場合は遺書があるにせよ)怨恨による字他傷の確信が得られたにせよ、不自然だと思っている。
精神分裂症に