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16年も苫小牧で開業しているから、患者さんもだんだん年を取ってくるし、在宅医療への転換を本気で考えたりもしたが、なにせ自分には向いてないし、人員不足もあり中途半端で終わった。この2010年には、家庭もやや不穏になって。家庭向きではないということだろうと思う。この気持ちが揺れ動いている時期の、患者Iさんの末期癌も本当に参りました。多分かるいうつになった。これらが渾然一体となって、函館上陸(平成元年)から24年、それまでの借金は、返したものの、マイナススタートからでした。医療で金儲けしないというのも、安保闘争以来の信念。患者さんには、若干割引の精神(これは、医療法違反らしい)を貫いた
医者としては、10代目の末裔。私の代で、室町?時代から続いた医師の家系が終了するわけで、最後は、人助けしかないと無理やり思って「一家郎党の使命感」家族:家を飛び出して、現在があるわけで、仕方がないか。でも、距離は、実際にも心理的にも近づこうという気持ちは、これも大変大変大きい。
とまれこうまれ、それ以上に、激震は2011.3.11のようだ。気仙沼の漁港にたったときの異様さ。無人の町の佇まい。人や動物の肉体がないだけで、「気」のようなものがまだそこにある。。私は医者なので、生きている人が死んでしまうことがどうしても許せない気がするのです。これはどうしようもない。町医者としてやれることはやったつもりで、それは甘いとは十分に分りながら、うつになっていた。それに、決定打でダメを押されたみたいなもん。医療提供はずいぶん様変わりするでしょう。大抵の病気のもとは、DNAチップで分るようになる。治療はまた別ではあるのだが。それも山中教授が、再生医療の分野でなんとかしてくれるのでしょう。本音を言うと、もともと疾患の鑑別以外あまり得意ではない、というか興味の問題かもしれないと思い続けてきた。
高齢化がすすみ、治療費の支払いは困難になってゆく。すくないお金で、とりあえず果てるまで。先進医療は金持ちだけで、普通の人は、畳の上、つまり在宅。在宅医療は、あまり乗り気にはなれないとは言ったが、これは、世の趨勢。慢性疾患が増えるから、医者として対応しないわけにはいかない。だから、町医者は解消。個人医の仕事は、大きな病院とくんで、手術と術後管理の関係のようになるだろう。サテライトクリニック。要は、治療ではなく、管理が仕事になっていく。高血圧、高脂血症、糖尿病、慢性気管支炎、慢性閉塞性肺疾患など、いわゆる「持病」が中心になり、急性の上気道炎や、尿路感染などは、従来の体制の先生にまかせましょう、なんてまた分化。もっと自由な診療、人にも自分にも本当に「生きるための医療」はないのだろうか。東北の「本当に困っている」人がいるか調査をすることにして、診療時間を短縮しました。皆さん許してください。自分のような、ペーペーの金欠じじい医者でも人助けが出きるもんだろうか。これが近々の関心事なのです。
○ヘリコプター
2011年の4月の最初は、ヘリで広島に飛んで行き、その後西広島飛行場を定点にして、安浦に場外を申請し、実際に往診がてら飛んでみ、この先、金食い虫のヘリを耐空検査切れまで、あと4年つづけるか、直ちに止めるか、飛びながら選択するでしょう。->実現せず
○職員の有給勉強
再開の時には、意外なパワーが出るかもしれません。今ある流れを経ちきることって言うのは、大きな流れを生むために必要な事と思われる時期が必ずあります。休暇を使うことも、人間大切なんだろうと思います。こんな時は。
○震災 0110311
私自身は4月3日から動きました。一応それまで岩手県のボランティア団体、社会福祉協議会、消防、災害対策本部などに繋ぎはとりましたが、なんの役にもたちませんでした。すべては組織化された医師の団体の差配に任せる事のようでした。個人のチカラは借りないのです。確かに私は還暦を迎えた凡庸な一医師です。だれも私の医師免許を身たわけでもないとも言われました。個人もボランティアという肩書きがあれば、集合して動きます。そして、そういう組織は今回大変役にも立ちました。関西の地震の成果だと思います。被災直後から動いた方々も沢山知っています。私は、自分とヘリ操縦とメカのプロと、水先案内の人の3人で動きました。なんのツテもなく現地にはいると、不思議とちゃんと「お仕事」がありました。報告を見てみてください。何故か? それは、皆んな困っているからです。地震の余震が続く中、子供が怯えて抱きついてくる母親のお話を聞かせてもらいました。涙ぐんで話されました。それが私の仕事だと思いました。
○個人でできること:4/3に出発するまでに考えたことです。
あくまで個人開業医として。仕事は来にくいが頑張る。
小型ヘリでは、ベース(基地)、地上援助車(運搬や天候不順での代行)がいる。
災害時運行時は、現地人の案内がないと、ワイヤーハザード、燃料節約が出来ない。 など 優秀なスタッフの協力がいる。( 高橋ヘリコプター、 東北緑生様)
自分で飛べても飛行補助、運行援助者が必要
災害地の各責任者との連絡 宮古医師会長木澤氏、苫小牧市医師会事務局長、医療ボランティアチームの責任者、災害地のドクター(田老地区診療所の 黒田医師)、災害地健康福祉課課長(山田町の里館氏)などと横の連絡はとっておきました。また、当チームの高橋ヘリコプターのつながりで、 ピースウインズの大西氏とお会いしました。気仙沼大島の老齢の開業のドクターのもとに、薬剤を届けていただきました。
○1201:「新しい住」とは一体なんだろう。それは、チャンスなどと気軽に言えるものではなく、物作りの人々だけでなく、国民一人一人に課せられた神からの重たい宿題、おろかな人間への課題なのである。
私も、気仙沼を去年の4月5日ごろ訪れたとき、今後の海岸の暮らしを、下記のように 提案したことがある。
->3地域に別けるという提案だ。3つの地域とは、