note02-0712010853@この間、大学の小児科で若造のころお世話になった、「ホボさん」ことNさんが亡くなった。まだ60台のはずだから、病気かまたは不慮の出来事だろう。私は、若いころ、前回も書いたように、「5時から男」だったから、諸先輩にはずいぶんと鍛えていただいたように思う。5時から帰らないように。こちらも5時にはどうしても帰る訳だから、其の替わりに、早朝より病棟に出、看護ふさんの嫌がるのをごめんごめんしながら、採血をしたり、受け持ちを診たりしたものである。3ヵ月ごとのローテーションで、新生児(ここが一番辛かった。ここでは5時からは通用しないし、第一、天井が低いので閉所恐怖症のわたしにはことさら辛かった。)乳児、幼児、学童の病棟へと回るはずが、最後の2年などは、ほとんど乳児に行かされた。鬼の回診の1時間まえに、突然他病棟の病欠の先輩のプレゼンをさせられた事もある。それを言い渡した先輩のニタニタ顔はいまでも記憶にある。当時の小児科には珍しく乳児病棟には準ICUのHCUがあって、挿管やら動脈確保の必要な赤ちゃんが絶えず10人はいるのである。そこでずいぶんと鍛えられた。だから、うるさ型の先輩の目を盗んでは、4C 学童病棟に時折上がっては、「会話」することでほっとさせていただいたのがNさんと、病棟に居着き見たいな顔見知りの慢性疾患のガキどもだったと言う訳だ。そのNさんが亡くなった。わたしは、実家とやや疎遠なところがそのころからあり、肉親的親近感に飢えていたかもしれない。Nさんは、子供達にだけではなく、若い医師や看護ふにも親身に接してくれていた。伝え聞くところによると、なにやらわたしの事をずっと心配していたとのことだ。いったい何の事だろう。まだ、墓前にも参ぜずに、気がかりを残した今日このごろだ。 生きると死ぬる。。この年になるとそれは万感の想いがある。 生きるということは、努力がいることだ。私は50を越した今日までそれを体で知らなかったように思う。朝日が昇れば、夜が来る。そしてまた。そう思っていたが、多くの患者さんたちのように、そうでは無くなってきた。そう自覚をしたところから別の人生が始まるのだろうか。知らず知らずに齢を重ね、死を意識した生活がいつのまにか始まる。病苦があればこそのそのことが、齢を重ね、若さをうらやむことにより、いつのまにか始まるのである。ふとめをあげ、空のいろ。木々の緑、アルファルトの色に感じ、子供たちの声に、、その全てが、別の色や音声を持つことを感じる。 生と死が裏腹などとは言えたものじゃない。それは元気な人が言うことだ。山の木々、そしてせせらぎ。綺麗な水がくりなす静寂。ふたたびチュロチュロ言う水のささやき。それらが、眺める目に映る。木漏れ日はすでに山に閉じ込めくらがりが支配する風景に脅える。いつかは、、。 思えば、私を鍛えてくださった助教授以上の方々も多くが亡くなった。。そんな、Nさんであるのに、お香典をと思って郵便局に行くと何と、10月1日から電信為替が使えないというではないか!つまりは、いつのまにか、弔電が打てなくなっているわけだ。急に遠方の知人がなくなっても、お花を送るか、お悔やみを言うだけになった。○○キューピッドにとっては良いかもしれないが、ただでもバタバタしているご家族に多数の人間から電話がかかっては迷惑千万だろう。そう言えば、、思いを馳せる。。。山里のご老人は、如何ばかりだろうか。孤独のうちに日々を過ごし、癒されるのは、郵便配達の人とのコミュニケーションや、書簡そのものだったろうに、ただただ、自分の意思で、郵便局に出向き、書簡を受け取ることになる。受身ではあっても、「あいてから、便りがある」という自然な受動こそが安らぎであろうに、これらのことどもは、大変困ることだ。あいてから、じぶんに、たよりがあること。こんな自然なやさしい関係も無機質エコノミーが無残に壊すとは。愚かしいことではないか。 そもそも、「公共」とは社会主義的なものだ。なんか、専門的にはあくまでも市場原理を中心に敷衍するのを資本資本主義、公共サービスなどもとりいれるのが修正資本主義とか社会資本主義とか言うらしいが、そんなめんどくさい理屈を言わずに、公共イコール社会だから社会主義でよい。むかしの共産的な思想もどうでもよい。社会を中心にすえる社会主義、市場原理を中心にする資本主義その両方が必要だ。その両方に譲らない強さが必要だ。けんかが必要だ。どっかの政党が、反対の政党と手を結んで、アメリカの為に、法律を制定しようとするうごきと同じだ。なんでもかんでもひとつにすれば、運営は簡単だが、こころが腐る。利益を追求し、自然を破壊する。その結果として、環境破壊や温暖化阻止をビジネスに取り入れて「我々は我々の美しい地球をとりもどすため、日夜がんばっています!」的な活動をするのとは、基本的に別物だ。相容れる必要はない。最初から万人の平等を唱う。日本が戦後資本主義を民主主義といいかえるアメリカ的な都合よい理屈に馴染みすぎた結果、なんか、日本郵便株のほうが新しい社会の動きみたいな感じを持ってしまうだけだと思う。社会主義で全てが動かせる訳ではないように、資本主義だけでもだめ、基本は自由な市場活動をしながらもいままで捨て去ったいろんな考えを再考するべき時だ。いなかのお年寄の、そとからの「おくりもの」を取り上げるような、なくなった人を痛む気持ちを伝える仕事を平気で捨て去るようなそんな資本主義を民主主義的と感じるような世の中はどこか間違っている。社会があってこその経済活動だ。「こころ」を捨て去った民主主義などあるわけがないじゃないか。市場原理イコール資本主義イコール民主主義みたいなヘンな心のもちようを考え直そうよ。 それにどだい「主義」なあんてのも、ばかげたものだと思う。要は、 いつのまにか、不平等な社会なのに、あたまがひとつになっている。こころがたくさんあるのに、思考がひとつになっている。我々はいろんなことを考えるからひとだし、ぶつかるから人だし、けど、みんな平和になりたいから社会なんだ、ってことだ。あいいれないから社会だということをわすれないように生きたいものだ。