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世の中が騒然としているし、どんどん混沌として来た。これは、ニュースの繁多なせいもあるのだ。毎日これでもかこれでもかと見せつけられるシリア、尖閣などの映像。どのチャンネルもだ。同じソース、同じくくり。たぶんは、これも情報の統制の一種なのだろう。あるいはレポートを書く人が一人で、それをソースに各社が書くので同じなのかもしれないが、チャンネルを選ぶ意味もない。
この傾向、おもに、湾岸戦争あたりからつぶさに見て取れるようになって来た。技術の進歩もあるにはあるが、伝え方に一種の固定観念が見て取れる。想い出してもフセインの最後はひどいものだった。人殺しと決めつける世論、そのなかで、ボロボロになり、全てを剥奪されて惨めに犯罪人になってゆく姿。かつての戦争のシーン。戦闘機乗り同士が撃ち合い、撃墜した相手を「勇敢な人だった」と讃えるような、そんな「武士の情け」などまったく無用の無残なシーン。勧善懲悪の出来の悪いハリウッド映画のような筋立とさえ感じるのである。そういう事が次々と起こっている。
実際に、普通にご飯をたべ、会社で仕事をする日常生活の傍ら、街頭では、戦闘、爆撃、爆弾の破裂。傷ついて始めて、と言うか、血が最後の一滴になる頃になってようやく、死の近づいた仲間への救いの手が差し伸べられる、そんな違和感。武器が主役の人間世界は、どんどん醜悪な、一方的な勧善懲悪劇だらけになっているようだ。生き残るのは正義だけ? やくざの逃走劇だって、もっと殴り込みまでの人情や、味方と敵の峻別、相手方に乗り込むまでの理由やら、感情の起伏がある気がする。私が生命保険の社長なら、いますぐ、廃業する。だって、支払いの理由は、たった一つ、被保険者が、生きているか死んでいるかのみ。戦争での死亡なら支払えません。なんて事が普通になりそうな時代。これまでのように、普通の生活の中で、コツコツ貯めたお金。やがて、孫も生まれて、悠々自適のなかでの死。若い世代に伝える遺言としての生命保険。それはそれで意味があるけれど、これじゃあ仕事に誇りがもてない。そんな、虚しい気持ちになりそうだ。
政治屋は相変わらず。N氏が、M党の党首続投になったようだ。「決められない政治」とマスコミは言うが、かなりいろいろ唐突に法案を決めてきている。それも「英断」なのか、「独断」なのか不明であるが、どうも政治屋の争いをよそに、漁夫の利的な立場の官僚主導の茶番のような気がするのは私だけ? そう感じるのは「誰も政治家の力を信じてない」ことに起因している世相そのものとも言える。相手方のJ党もどんぐりの背比べ。京都のボンボンを追い出したのは良いが、4つのどんぐりではいかがなものか。第一どんぐりは普通似ても焼いても喰えない。そのなかの一つは、なんと、落選したが、比例で救われたどんぐりではなかったか。下手をすれば、総理になるかもしれない人材がそれでよいか。ちがった、どんぐりだから、木材か。。ところが、蓋を開ければ、新しいこの党の総裁が、なんと数年前に、国政を投げ出した人だ。たしか病気が理由だった。過敏性腸症候群だったろうか。あれは、心身症のようだ。アタッタったとか、心臓をやられたならともかく、かなり個人的な理由、持病を理由に首相の降りるなんて、私には、とてもすごい事だと思えた。それが、今や打倒内閣の旗振り役だとは。新薬が出来たから大丈夫! という、説明もいかがなものだろう。しかも、かなり大差をつけた競争相手がいるのに、決選投票となって、国会議員のみからの採決で選出されるとは。人材不足はなにも我が方安庵だけではないようだが、合法的に、という一文だけが、正当性を持つ決め方はどうだろう。それは、単に多くの人の意見が反映されようがされまいが、法律を破らなければ、何をやっても良いと言っているように聞こえるのは、私の幻聴なのだろうか。