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尖閣、竹島、北方4島。最後のは、R国のPさんが返り咲いたから、おそらく最後のチャンスだろう。いつぞやのように、2島でまず、手を打ち、様子を見ながら後2島を返還、その感交流を通じて、共同で開発すれば良かった、と私はずっと思っている。しかもこの時、けっしてR国は、あと2島を返さないと言ったわけではないのだそうだから。P大統領は、うまくお付き合いすれば、ここの合意までは、渋々にも納得するのではないかと思う。あとは、地道な信頼関係の構築だ。Pさんの態度は、多分大戦のR国の参戦のしかたが、そういう抑制を本当は誇り高いR国にさせているのでは、と思ってしまう。けれど、同じ黄色人種のC国K国は、どうやら相手が違う感じだ。長い歴史の間で、日本人が、西洋人から、バカにされ陰口を叩かれながらも、負けじと身につけてきた、議論は冷静にというような態度は、通用しないようだ。かつての日本と同様に、20世紀の後半で、敵であり、有効国でもあるアメリカを追った我々と同様に、遅れて出発した産業大国の2国。程度抑圧された中での発展をとげて、いま翳る日本と決定的に違うのは、彼らは戦勝国として、発展途上にある、と言うことだ。だから、かれらに感情の抑制を期待するのは誤りだと思っている。しかも、戦勝国と言え、アメリカのように直接軍事的に、あるいは、イデオロギー的に優位にたってはいない戦勝国だ。これは、バカにしているわけではなく、それまでの植民地的立場こそは解消されたが、まだ仕返しはしていない状態に居つづけていると言うことだ。アラブの民ではないが、目には目を。これは、生き物の常である。その事を忘れて交渉してはならないと思うのだ。アメリカは日本に、原爆を落とした。トルーマンの孫が広島に来て、いみじくも謝罪したように、絶対的に勝った。相手を滅茶滅茶叩きのめした。立ち直れないぐらい相手を打ちのめしたからこそ、無残なことをした、と誤る心の余裕のようなものを持てるのは、これも人の性だ。C国もK国も、そんな態度は間違っても取れない。いじめられていた男がマッチョな友人に助けられ、「もう許してやれ」と友人に言われ、拳をいったんおろしたような、そんな状態のまま半世紀以上の時が流れている、と言うことだ。かたや、我々自身の事だ。我が日本。マッチョな敵にやられた小人族の国としては、戦争なんて、もう済んだことじゃないかと忘れようとしても、いつまでたっても70年前の玉音放送を想い出さされる。当時の勝ち負けのままの人間関係が続いているような屈託があるのに、オメーラが悪いんじゃけあやまらんかい、っていつまでも言われているような。そんな屈託。その見せかけの冷静さ、自己抑圧は、諸刃の刃でもある。我々小人は、金貸しでもあるのだ。自分の懐に、湯水のごとくお金がある訳ではないが、金貸しだ。自分を打ち負かした相手には、実は、もう、すでにたくさん金を貸してある。さあ、あなたが、その小人の質屋なら、一体どうする。
一昔前までは、国境といえば、フランスとドイツの国境のように、地面に書いた一本の線だった。今やそれが東進し、チグリス川を越えて、南下し、インド洋にやって来た。片やモンゴル砂漠を越えて、極東にもやってきた。水面に線を書くことを21世紀になって、ヒトが覚えた瞬間だ。水面に線がかける知恵?を持ったわけだ。しかし、地面ならば、線で、ケーキを切るように、その下も切れてしまう感覚なのに、水面だと、下を潜水艦が通れるのだからなんとも危うい。ここが決定的に違う。10m先に見つけた金を目を盗んで横取りできる盗賊の前のロープのようなものである。元来生き物は、「見える誘惑」に弱いものだ。
そんな事とは別に、私は、妄想のように、だれか、今の「領土の戦い」には、影で頑固をする化石のような老人がいる、と思い込んでいる。私の妄想の中のその老人は、自分はやがて、10年もすれば自分は果てるから、いまは、相手に妥協は出来ないと思っている。こんな頑迷な態度は、厳しい交渉のなかにあっては破綻しか呼ばない。一番の例は尖閣だろう。日本は冷静を呼びかけるが、それは、島を所有してしまったからだ。取られた方、それが正しかろうがどうだろうが、取られた方は、冷静でいらはずがない。取られた、と思い、前述したような心の屈折を持つ方が、武力に訴えないほうがむしろおかしいと言うものだ。戦力は、プラモデルで言えば、C君は、クラスで1、2を争う数の軍艦を持っているんだもん!
まあ、幸いなことに、と言うか、国連総会が開かれ、舌戦となった。それは、国連自体が、国際連盟に変わって、戦後の20世紀を支えてきた、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の五つの戦勝国の会議だからして、どれだけ実効力のある、フェアな場であれるかは別として、年号が飛び交い、ヤルタ会談やらポツダム宣言などが出てくる。こう言う、近い時代の史実についてのディベートの方向なら、とことんやればよいと思う。けれど、その発言内容たるや、とても中学生程度にもなっていないような国の代表者を相手に、けれど、しかしを繰り替えしていても、突然泣くか怒り出して、なぐりかかってくるのが関の山とも思うが。とは言え、お互いの国民、片や4000年の歴史、片や、他国の科学文化を取り込んだ大多数の賢明な国民同士は、本当の事、正しい歴史を知らされてないのだから、ここは操作せず、確度の高い情報が、平和を好み、理性ある大多数の彼らに届くことを願うばかりだ。
最後に、私なりに考えた、解決法を言ってみたい。皆さんはどうおもわれるでしょうか。まず、C国がわが国のように、ビザなし交流を呼びかけてくるなどという可能性は0に等しいだろう。なんせ、彼らにしてみれば、自国を一時支配し、殺戮を繰り返しその後敗戦した国が、また領土を奪っておいて、冷静に、冷静に、なんて言っている訳だから。一旦国有化したのなら、万が一、静かになるようなら、台湾に無償貸借し、台湾を通じて、C国と共同漁場(台湾を1とすれば、3国)とするのが良い。国防上および、戦後処理の過程で、日米安保により守られる同島は、管理者を民間人とし漁船の安全管理を行い、灯台を設置する。
竹島。竹島は共同統治とし、男島、女島両島そのものを平和の碑としてしまう。女島には慰安婦の碑を、男島は、両国の男の祈りの島にし、年に一回、愛する人を失った両国の男性が集い、腕相撲大会を行って、例えば亡き分かれた女性たちの供養をしてもよい。ついでに、北方四島は、国防上の理由から、歯舞、色丹ではなく、可能なら歯舞、国後を日本領、色丹、択捉をロシア領と暫定し、話し合いは継続、4島を無関税の共同利用地として、交易の拠点にすると良い。つまり、海にも国境線を引き、住み分けるとしても、その国境は、ヨーロッパの地面のそれに見て取れるように、燐国との交流ラインでもあるわけで、であれば、交易のハブとするべきであり、戦いの交点にすべきではない。なんの益もないからだ。実際、戦争して収益が上がるのは、葬儀会社ぐらいのものだ。
いまだに70年以上も前の戦争の勝ち負けで相手に言い合うのは、それこそ大人のすることとは思えない。なぜなら、互いの子供たちは成長するし、彼らに罪はないのに一体何を植え付けるのだ。若く、柔らかい彼らに必要なのは友人でありライバルだ。インドネシアの人々がいみじくも言ってくれたように、下品な気もする。この問題から離れて、テロと言いながら、イスラム世界との諍いもそうだ。それぞれの神の絶対に許そうはずもないような、下品な人間勝手な理由を掲げて、コーランを焼き、聖書を焼き、人命を奪うことがなおも信心だと言いきる果てしのない愚かさ。人間臭すぎる教会同士の争い。いい加減にすべきだ。霊長類のヒト。それを(勝手に)頂点?とする進化や動植物連鎖を大切に守らず破壊する輩。その身内だけを生かすような身勝手な所業をすて、あるいは金輪際加担せず、宇宙を見据え、いかに全ての友たるわんニャンや動植物君たちを地球という箱舟に載せつづけるかに腐心し、叡智を結集出来るように、ヒト属全体が自己改革をしなくてはならない時期に来ていると私は思う。細胞達がそうであるように、知恵もまた、再生や新生しなければならないだろう。生まれ変われよ、ヒト! ナーンてね。(0120930)