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●その後のこと
あの瞬間から日も経ち、2年がすぎて、まだ、避難所生活の人々がとりのこされている。東北ならではのあるいは漁師ならではの共同生活の助け合いが出来るから、現在のところあまり孤独死などは問題になっていない。医療的には、医者もいない。けれど、過疎の部分での患者も減っている。復興にむけて、区画は整理され、がれきは、処理場で燃やされている。後には、なにもないという感覚が地元の人の印象になっている。人の生活は、当然、被災地していないところで再開され、どのホテルも援助的仕事の他所の人々で溢れている。医療は、残った診療所が一時2時という通常の業務のなかで吸収していて、石巻などは、仮設の診療所で患者を見ている。人々の生活が落ち着く頃には、あたらしい市立病院もできるだろう。ここで大切なのは、交通アクセスだ。仙台という大都会を後ろにひかえて、高速道路網が大変整備されているが、これが利用できるところは、通常の患者外来が増加した程度の変化のようす。福島など、被災者が、怪我などなく、健康体の場合は、通常の患者を、区域解除となった地域の別の地域の医師が見る体制となっているが、これが、指定解除となって人口が増えれば、その構成員としての医師がみるかたちになるだろう。つまり、復旧するだろうけれど、今見るに、その可能性よりも、復興へ進む様相である。