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四.ヒルカワ冤罪事件
いまさっき、マリオを一緒にやっているユミちゃんのことがチラッとでました。彼女は私の今の奥さんです。一世代以上違う奥さんです。なぜ、そうなったかと言えば、私がバツ一だからなのです。と言うわけではありません。ただ、私が事業に失敗して函館に逃げてきたとき一緒に逃げてくれた人なのです。そのなれそめは、次の事件のようでした。この事件はその損害の大きさもさることながら結構波乱にとんだ私の人生にかなり大きな意味を与えてくれたので、かなり詳しくお話ししたいと思います。
-----ヒルカワ検事ホ登場
あれは、忘れもしない昭和六十三年十一月三日の事です。まだ、私が人生で一番勢いに乗っていたときのことです。四月に始まった私の会社「どこプラ」も、ようやくその形が出来てきて、激しく忙しいながら、初めて「ドライブでもしようか」という気分になった日の事なのです。その日、以前よくドライブした山口県の秋吉台に、ユミちゃんとケンスケを連れていくのです。それは、気持ちの良い秋晴れの日で、久々にたくさん空気を吸いました。
気持ちよくリフレッシュして、最寄りのインタ―チェンジから、高速道路に入り、暫く走っていました。私としてはゆっくりの最初110キロくらいの速度でしたか。
うちのアウディは、いつもどうり調子よいエンジン音を聞かせて走っていました。時間は午後の3時ごろ。この時、ちょうど小金色と表現したい空の輝きが一時途絶え、低い雲が出ていたように思います。楽しい時間が過ぎ去ってしまった感情からか、本当に雲が出ていたのかは忘れてしまいましたね。
少し走ってから、中央の車線に、あづき色のツルツルした自動車が見えてきました。今どきの車は、どうしてあんなにツルツルしているかフシギですね。そのなかにこれまた今どきの若者が四、五人うれしそうに乗っています。一世代前流行した、「かりあげクン」と思わず叫びたいような、そんなツルツルの若者でしたね。新しいおもちゃを試しているところなのでしょう。意外やスピ―ドを上げることもなく、ボクに追い越されていきます。しばらくしてバックミラ―からもいなくなり、ちょっとの間すっかり忘れていました。
「夕陽だァ」低く連なる山々の切れ間から、薄雲をスクリ―ンにして、夕陽が輝き始めました。それはそれは奇麗な光景でした。思えば、戦いに終始した数年でした。それでも、自分がこうしてふと吾に返る事が出来たのは、そんな気持ちを感じることが出来たのは、ユミちゃんのおかげだなとしみじみ感慨にふけっておりました。
道はほぼストレ―ト。定期的に目を転じたミラ―に、さっきの若者の自動車がゆっくり迫ってきます。そのうしろに、二台の白い普通の自動車が、少し間をおいて見えていました。
「やっぱりくるな」と、フト思ってまた目を前に転じると、赤く染まった夕陽と山々が明るく見えています。自然と速度も100キロぐらいに落ちていて、ル―という高めの軽い音を立てて、エンジンが気持ち良く回っています。「きれいだね」と、ユミちゃんに言うと、私はそのフレ―ズにジワっと自己満足し、夕陽をひとしきり眺めていました。これをワキミ運転というのでしょう。
と、とたん、白く光るレ―ダを発見したのです。夕陽とレ―ダは一直線。ブレ―キを反射でかけて、レ―ダがすぐ左に近づき、キュッというタイアの音が聞こえたのと、レ―ダの後ろのおまわりさんがピョコンと椅子から飛び上がるのと同時でした。「へんなの」、とその姿が少し面白おかしく感じるのと、次のことを予想してヤレヤレと思ったのとほぼ同時でしたね。
80キロ位でソロソロと左を伺いながら走ります。「バス停すみかのネズミさん。どこからチョロチョロ出てくるの。」と言った感じでした。
ところが、「このままだともうバス停を越えてしまうぞ、アレ?」っと思った位走ったときです。のろのろと、まるで横歩きのカニのように、二人のおまわりさんが、赤い旗を両手一杯に広げてやっと出てきました。「なんだかヘンダナ」と思ったくらい、自信のないその姿。あの哮り狂った鬼みたいなおまわりさんとなんだか違うではないですか。....ボクは窓を少し下げます。
「恐れ入りますが、免許証を。...どれぐらい出ていたかご存じですか。」
なんと丁寧なおまわりさんでしょう。良いおまわりさんだ、とスグに思いました。そして、繰り返しますが、「なんかへんだな」、と感じたのも事実です。
「では、機械で確認してください。どうぞ。」
言われるままについて行き、検問車の横をとおりすぎ、機械のところに行き、打ち出された紙をのぞきます。その小さな紙には、無表情に120キロとありました。
「120キロ! そんなはずはない。」心の中でそう思って、しばらく立ちすくみます。
「では、あちらへいきましょう。」
こういったときに、いつも頭に浮かぶのは仕事のこと、とりわけ患者さんのことです。これは、きっと逃避の一種に違いないのですが、いつも真っ先に浮かんできます。「だからお利口にしなきゃ。」そう思うのです。知り合いの弁護士さんが、そういうときは、「無職」と言いなさい、とチエはつけてくれるのですが、ボクはイツモいさぎよいのでした。
で、すぐにハンコがわりの指紋を押捺して、検問車からでてきました。もちろん犯意は、ミヒツに否定して、つまり黙って。
この時点で文句を言う人もあるとか。スゴイ!しかしそれは、精神科をかじったボクに言わせれば、とってもヘンな事なのです。よっぽど頭脳明晰で、そのような大事件を へ!とも思わない冷静な人か、あるいは大変慣れていて、たとえば、相手が抜く前にピストルを発射出来るといった具合の、そんなふうな、つまり、交通違反のプロだと思うのです。正直に生きてきて、「たいした事はやっていないかわり、俺はまっとうだ」と信じている普通の人の態度でないことは、セリエさんでなくてもガテンがいくところだと思います。それほど、あの状況は作為的で誘導的だと思うのです。「正直者はバカを見る」と思うのです。
で、僕は医者で、医者は正直者なのですから、バカを見るとは思いつつ、反抗も抵抗もしないのです。とは言え、、アウディに戻ると、ユミちゃんに言いました。
「120キロだって。変だ。」
「ぬいてった車がおるよ。」
「どこで。」
「急ブレ―キをかけたとき横におったよ。」
「ソイツジャ!」
「まあ、ホっとこう。紙が来てから、裁判で言えばいいんだ。」
この甘い判断があとで、大きな事件になるもとを作ったのです。読者の皆さん、アナタは、ここまででなんとかするように。、つまり、自信があれば絶対ハンコをオスナ!そうしなければ、不幸が訪れることになるのです。
最初に行政処分のハガキを受け取ったのは十二月にはいってからでした。電話をかけ、時間を修正してもらってから、でかけて行きました。窓口で拒否の旨をつたえると、警察所の二階で暫く事情を聞かれ、「では、裁判の結果が出たら知らせてください。こちらから通知することはありませんから。」と言われました。
行政罰と司法罰が違うからとは分かりますが、庶民にとって司法罰がいわゆる罰。これとは別に、行政罰で裁かれるぞ、と聞こえる行政執行官