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memo051213@日本という国はどういう国なのか。日本人はどういう人々か。歴史の問題。どの国も自分に都合の良い歴史がある。本当の歴史はひとつの筈だが、すべては国益のもとに変質する。1945年日本は今の敗戦国になった。 その瞬間中国や韓国は勝利国になった。勝利するということは正しいことである、なぜなら正義勝つからである。戦後日本の子供もこう習ったような記憶がある。だから、侵略戦争を指導した日本人は戦犯であり、悪人である。いやいや、日本の精神性は違う、死んだら言いもわるいもない、だから、敵国人であろうと、戦犯であろうとともにまつる、という人々がいる。こういいながらこの人々はそれが神道の精神であるとは言わない。たしかに、キリスト教では「地獄」という観念がある。仏教的思想にも「地獄におちる」という概念がるから、現世の正義は天国、悪は地獄という分化がなされているから、そういう意味では日本人の精神性は神道であるとすれば、靖国はやはり、宗教のメッカだ。であれば、「日本人には日本人の精神があり、戦犯だろうと等しく英霊になる」というのは日本人すべて神道だと言っているようなもので、どこかおかしい。イギリス人を合祀してもそのイギリス人は我々にとっては等しく英霊かもしれないが、合祀されたイギリス人はきっとキリスト教徒であり、違和感を覚えるだろう。しかしまた、キリスト教でも仏教でも「死んで救われる」的な逸話も多くあるように思え、死ぬとどこかゆるやかで、かならずしも、表か裏か問われないおおらかさがどの宗教にもある。そういう意味では、我々の「精神性」なるものの主張は、「とにかく戦犯合祀は許されない」というのと同じぐらい狭小で偏屈である。iPodをもった若者は等しく日本人だろうと韓国人だろうと中国人だろうと、同じはずだ。  偏屈といえば、反日とか米帝とか、いまだに言う人達がいる。こちらにもあちらにも。これもことさらに、闘争心を剥き出しにして時代後れな気がする。私は70年安保の時代だから、それらの言葉を耳にしながら青春時代を送ったのだが,実際にそれらを言うヒトの中に尊敬する人物は当時みあたらなかったと思う。今はその人たちの中に尊敬され、社会活動を営む人達も多いと思うけど、彼ら自身が今の自分を「成長した」あるいは「日和った」とこころ密かに思っているのではないだろうか。時代は成長したのだと思う。  さらに狭小といえば、かどわかしが横行する。こどもをかどわかす。子供達は、生きていることに疑いをもっていない。彼らは人間が生物であり、生きている有機物である証明のような存在である。そういう、生きている生命体をかどわかした上に殺すというヒトがいる。それはもはや正常な精神でもなく、あまりに狭い概念が力をもった、いわゆる「妄想」である。そしてこの妄想はvirtual(バーチャル)である。virtualとは英語の辞書によると、現実ではないが、力を持っているものだそうだから、インターネット時代の申し子のように日常的に用いられている。たとえば外敵の侵入に対して仮想(バーチャル)のゾーンを作り、自分側のコンピュータをそのなかに入れて守る、というのがある。Virtual Private Network(VPN)と呼ばれている。実際の壁はないが、ルータやインプットアウトプットの出口(ゲートと呼ばれ22や80などと番号がふられる)それらへのソフトでの制御法などの総合体で、外敵を守る力がある。だから、仮想といってばかにすべきではない。それは、実体はな区とも、実態を打ち砕く力をもつ。生命を打ち砕く妄想のバーチャルパワー、というわけだ。  そういうとくべつなバーチャルは頭脳は古く精神分裂症の専売特許だった。あのバーチャルなヒトラーは純粋な同胞だけという実際の国家を作ろうとして失敗する。かれは強い躁鬱病だったとも聞く。もうそうは必ずしも統合性失調の専売特許ではなく、神経症やうつでも見られる。うつでは貧困や虚無的妄想がおおい。ハー今月まだ2週間もあるのに、あと5万でやっていけるだろうか。苦しい。のように。ただ、現実、ああ、この状況ならこう考えても仕方のないことか、のような無理もない状況があって、理解可能である。  このように、妄想をもつということは、日常茶飯な人間の行動であるばあいから、。現実と解離したバーチャルな観念にとらわれるところまで誠に幅広い人間の行動のことだが、病的な場合は、訂正不能、自己中心の誤った観念などが、特徴だ。相手の無邪気な思いやりがばかにすることになる。今日は早いね!無理するなよ!邪魔だから早くくるなってか?ばかにするな。おれだって人並以上にできる。とか、ひとがヒソヒソはなしているのに、又悪口をいいやがって、いつか殺してやるぞあいつら。とか。以前6年生の女子がクラスメートの女子に刺されたのは、媒体がインターネットだから、時代を感じて、それもありか、とおもったが、今回の大学生による刺殺は、日経のコラムニストが書いているように、まさしく「考えられない」ことだ。まさにバーチャルな力が女の子に働いた。そして死んだ。つづく