memo060608a@慶次君はよくやりました。 父を納棺したとき、脚の位置を自分で治しました。 父の顔面の骨格は私と違います。父がくれたのは「個」という概念でした。 父は父、母は母、弟は弟、私は私です。それがよくわかりました。集団で生きる人にはきっとわからないでしょう。 ということで父への蟠りはなくなり、それはそれでやはり先達です。立派です。 私もそうやって生きてきました。祖父は父を勘当したそうです。私は自分で父から勘当された形をとったようです。