Back to Howawan's Homepage to index to Yahoo's Homepage

memo061117b/ ......


memo061117b@
○逆に、これから引いて私例の場合はどうだろう。私がもし自殺しなかったらどうだろう、私のように戦ったらどうだ。保健所にタレこまれ、解体されるかもしれない。自殺にしても、開きなおりにしても、それはある意味極端な例だ。ほとんどの人間はいじめられないように、組織の一員になるだろう。つまり、通常の職員という人々、これは大多数の日本人であるが、一旦、誰かが犠牲になる状況が起これば、保身からいじめ側に自動的に取り込まれる状況が発生すると考えられる。中立?それは、いったんだれかが「踏み絵」を行えば、一挙に不可能になる。すなわちいじめによる自殺に対して、法律的に裁くという概念は、大多数の集団に帰属する通常の心的強さの普通の人間を裁くということでもある。逆に言えば、裁かれないようにするには、反逆か少なくも中立の精神を保てる自我の形成が不可欠ということで、日本的精神構造になじむとも思えない。だから、いじめによる自殺は、日本的精神構造ときっても切れない関係にあると断言できる。
官僚によるやらせも同じ構造にたっている。ある図をここにあげておく。  自我発達の図である。次の文は、やらせについて書いてみよう。