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sent34-01106180030/日本のチカラと放射能1 ......

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sent34-01106180030@
こんにちは。お元気ですか皆さん!
私は今どこにいるでしょう? いや広島弁なら、どこにおるでしょう、ですかね。
と言って、前回の1月のこのコラムを読まれた方はご存知かもしれません。4月から今のいままで、広島大学病院でT教授率いる総合診療科 でいい年をして研修をしておりました。孫のような前期研修医と一緒に、カンファレンスで症例報告をしております。3ヶ月も放っといた患者さんには、大変申し訳ないのですが、本当に楽しい研修でした。あ、その成果は、必ず診療で生かせます。許してください。またこの間、再び診療を始めた時健康でいられるように、いろんな検診を受けましたら、バチがあたったのか、楽しみにしていた自分へのごほうびヨーロッパ小旅行がキャンセルになってしまいました。結果オーライでしたが心底震えが来ました。痛〜い検査も受けましたし、報いを受けてた感じですかね。
 と言うことでと言うことでもないのですが、考えたらこの「ちょっと一言」5ヶ月も更新をしておりません。いつも読んでいただいている方もおられるので、大変申し訳ないと思いますです。ホンの言い訳ですが、4月10日には、キーワード集から探すと、東日本大震災の記事があるはずで、それが更新の最後とは言えます。
 で、皆さんもホントにそうでしょうが、今日のテーマはあのことです。例の3.11は、9.11とほぼ同じぐらいショックな出来事でしたね。しかも3.11の方が被害が甚大で。残った人たちとしたら、うらむべき、と言うか殺したいほど憎い相手もいない、本当の災難。まあ、3.12と言うか原発事故のために家を終われた人たちは、別かもしれませんね。
 ともかくも、津波で、自分の子も親も家も自動車も貯金通帳ならず、町や村すべてが奪われてしまうなんて、想像に絶する事でした。地震の被害自体はさほどしたこともなく、折から我がクリニックでは、心臓のわるいご老人の心電図中でしたが、心電図に、ゆれたとたんに発作が起こった不整脈が記録された位でした。彼の被災地では、行って見た限りではひどい被害が出たとまでは言えず、むしろ東京と近辺で、液状化のために地盤沈下などで家が傾いたのが最大の被害だったようです。とは言え、次の強い余震?の時には、その地震の強さよりも、性質、と言うか、「水にぬれた布きんの端とはじを持ち上げられたような」、えも言われない不安を感じたのも事実でした。私は地震に恐怖を始めて感じました。
 日本に住むほとんど全ての人は、テレビに映し出される恐ろしい映像を一生忘れることはありませんでしょう。。この文法的には問題なさそうな、でもとても変てこな文章。けれど真実だと思います。9.11より、もっと不可避的な、巨大な力のなせる技で、人は抵抗するすべを知りません。そしてその悲惨さに引き続く、原発事故の困難さ。天災と人災の極致といったら良いのしょうか。筆舌に尽くしがたし、とは正にこの事のようです。
 3ヶ月経ちましたが、いまだに、山とつまれた瓦礫はそのまま、家を追われた人々は、生活を取り戻せないでいます。だれのせいでしょう。天罰だと言った政治家のせいでしょうか、やめるやめない総理のせいでしょうか。私は、「日本のチカラ」のセイだと思います。弱体化し、事なかれに流れて来た現代日本の貴族的な「チカラ」では、あまりに強大なそのパワーにすくんで動けないのです。ある政治家や官僚が、例え世論や上司の反対にあってもガレキをとりあえず撤去したかも知れませんでした。ガレキの中に家族を探す心情を理解したとしても。破壊された原子力発電機に、上意に反して注水を継続した例の所長さんのように。実際は、政治は動かず、一部の民意は到達しないのでありました。何もしなければ何も起こらない。互いに批判し合いますが、要は自分のことで精一杯。「みんなの幸せ」はコウノトリにでも頼めみたいな。それは、とりあえず金は用意し、「反対」のプラカードはすぐに事務に作らせたが、だれも行進する人がいないデモのようなものだと思います。
 そう、よきにつけ、わる気につけ、なにかを実行するパワーが失われて久しいのだと思います。動けば必ず、反対も起こる。だから、自分を信じるチカラが生じるのでしょう。信念というチカラ。動けない政治家の人々。風見鶏でさえ、風の方向には向けるのですが。なんの実効力もなく、ただただ、相手方の批判だけを繰り返し、ものを変化させるチカラはありません。その間にジワジワ広がる放射能汚染。我々は、事故以来ずっと、「この程度では人は死なない」見たいな事実無根?の見解を述べつづけた「専門家」の人々を見てきました。この方々もなんらチカラがありません。なくなった方を人海戦術でコツコツ探すことは、それこそ心情的なチカラも働いて、自らの苦痛に耐えてでも出来るかも知れませんね。でも、前を向いて何か切り開くチカラは、それ自体痛みを生じます。こう言う時にこそモノ言うはずの政治が、一人ひとりの漁師のAさんや、酒屋のBさんをすこしも助けられないのです。お金を出すにしても、義捐金の分配は、全ての被災者に不公平があってはならない? 仮設住宅は、要件がそろわないと不公平になる? 小口の融資は?融資の為の基準がいる? 民間の銀行では? 担保がいる?みんな流されてしまっているのに? 「超法規的措置」を誰一人しないのです。今苦しんでいるのに。そんな「御上」に耐えられない行動力のある人々は、自分で、家を離れ、他所に移り住み、新しい仕事につくでしょう。でも、「勝手に」したので、多分、なんら保証を受けられないと思います。皆さん本当にそれでいいのでしょうか。法を遵守し、「不公平」はいけない。本当ですか? やり直すお金も土地も、生きるモチベーションになる住み家も、そしてガレキ撤去も。超法規的措置には、強靭な知力、不屈の意思が必要なのですが、「平等」の一言でかき消されてしまい。全てがすくんで身動きがとれないのは、症状の進行したうつ病の患者さんのようです。それが日本の今の「チカラ」でしょう。