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日本の技術。それが高度な事は、むしろ日本人より外国の人がしっかり認めていることであり、いまさら自信をなくす事はないのですが、ではなぜ福島原発の事故でアメリカやドイツのロボットが活躍したのでしょうか。ロボットを微力ながら自力で開発している身にとっては、夢でうなされるほどの悔しさです。技術はあっても、それを人のために役立てるとなると強靭な意志や、それを理解する寛容さや判断力が、当事者の間に必要となる。人間ヂカラが結局技術を生かすいい例です。
私自身は4月3日から動きました。一応それまで岩手県のボランティア団体、社会福祉協議会、消防、災害対策本部などに繋ぎはとりましたが、なんの役にもたちませんでした。すべては組織化された医師の団体の差配に任せる事のようでした。個人のチカラは借りないのです。確かに私は還暦を迎えた凡庸な一医師です。だれも私の医師免許を身たわけでもないとも言われました。個人もボランティアという肩書きがあれば、集合して動きます。そして、そういう組織は今回大変役にも立ちました。関西の地震の成果だと思います。被災直後から動いた方々も沢山知っています。私は、自分とヘリ操縦とメカのプロと、水先案内の人の3人で動きました。なんのツテもなく現地にはいると、不思議とちゃんと「お仕事」がありました。報告を見てみてください。何故か? それは、皆んな困っているからです。地震の余震が続く中、子供が怯えて抱きついてくる母親のお話を聞かせてもらいました。涙ぐんで話されました。それが私の仕事だと思いました。
ロボットの話につい戻りますが、日本のロボットも仕事場につけば仕事がもらえたと思います。日本のロボット技術は、末端の方まで、本当に高いのです。問題は、ロボットは仕事に行かせてもらえず、と言うか、強引に行かず、手ぐすねを引いたことです。問題は、お金(義援金)は使われず、手ぐすねを引いている事と同根です。すべて、人の上に「組織うつ病」がのしかかっているからだろうと思います。ロボットならずとも、我々一人一人は、それぞれのチカラを持ちます。それを阻害するのが組織のお仕事ではないはずです。組織には、「長」という人がいます。長は権限を持っているが、組織の長ではあっても人の長(おさ)、部族の長ではなくなっている事に、現代日本の「チカラ」があるように思います。組織も人が集まり、それぞれのチカラを使えば、個人の何百倍のお仕事が出来ます。それぞれのチカラを使わす長がいないのです。で、あれば、一人一人がチカラを使えば良いと思います。そのために我々は日々生きているのですから。組織はそれを助けなくてもよい。せめて邪魔してはいけない。一つ一つのチカラがぶつかってはいけない。だから適正にしようとする。それで組織が生まれると思います。「ソシキ」と「チカラ(私はこの言葉をポジティブ意味だけに使いません)」を直ちに見直すべき時です。
最後に放射能の事に触れます。放射能汚染の稻藁の話などです。牛さんは生きているので、食べなくてはいけません。どんな牛飼いさんも彼らに食べさせるでしょう。ともに生きている牛さんにごはんをあげるのは当たり前だからです。牛を食べるのは、消費者であって、牛飼いさんたちではありません。彼らは、牛さんを愛していると私は思います。牛肉にするために牛さんにごはんをあげるのではないと思います。牛さんが出荷されるときの彼らの心情を考えると、私は牛飼いさんにはなれないと思ってしまいます。そんな彼らでも、汚染を避けるために他県から藁を持ってくるチカラがあるでしょうか。例え疑問を抱いたとしても、どうしょうもない、と思ってそこにあるものをたべさせます。福島の沖にいる魚さんやプランクトンさんもみんなそれぞれに食べるでしょう。重たい不安定な金属は、深層水に乗って世界中に回るでしょう。空の偏西風もそうやってモノを運ぶでしょう。そんなことは、私のように広島で生きた人間なら、それこそ水と空気みたいに放射能のことは感じる事が出来ますが、初めての人々には無理でしょう。例え分かったとしても生き物は日々生きていていろんなものを食すと言う食物の連鎖や、雨や海、風の自然の連鎖には無力に近いでしょう。わんを愛する身から、あえて言うのを避けたいのですが、当時のわんやにゃんも生きるために、色んなものを食べたでしょうね。
今、日本人はすべての人が何かしら被害者意識を持っているでしょう。我々は被害者だ、見たいな。しょうがない、日々生きるしかない、のような。でも本当にそうでしょうか。本当の被害者は、放射能汚染に関するかぎり日本以外に住む地球のすべて人々と言えるでしょう。つまり当事者でない全ての人々。でもその人々は、それほど大きなブーイングをせず、むしろ暖かく見守ってくれているように私には見えます。私が宮古から帰るとき、雨降りで韓国では、小学校が休校したりしました。アメリカは、直ちにフクシマゲンパツから80km以上避難するように勧告しました。事故以来ドイツ気象省は、放射能拡散範囲をネット上で毎日知らしめています。むしろそれらの反応の方が当たり前に思えます。それにも拘わらず、なんと彼らの一部は、この日本に、住みつづけたり、観光にも来てくれるのです。ありがたい事でしょう。
モノを知っている人は、自分は被害者だと自分の事ばかり言わず、知らない人を守る義務があると私は思います。なにも知らずに同情して知っている日本に、観光に来て、放射能わらを食べた和牛を食べる人を守らないで、真の日本人と言えるでしょうか。ある食肉業者が、放射能肉を店に出したことでインタビューを受け、「フクシマの人を少しでも助けようとして肉を仕入れたのに」と言ってましたが、それと同じようです。そんな時、被害者だからと言う理由で、どうしょうもない、とため息することが本当に出来るでしょうか。日本の魂、日本の「チカラ」はそんなだったのでしょうか。
これらから引いて言わせてもらえば、お金も家も、そして国のチカラまでももなくした今の日本人にまず出来る事。それは、正直な自分たちの思いや正確な情報を世界に発信し続ける事だ思うのです。そして同時に、やはり何もしらないし、何の罪もない、日本だけでない世界の子供たちを「ヒバク」から本気で守ることだと思います。復興するチカラを世界に見せることではないでしょう。国力の発揚?なんてちっぽけな考えでしょう。もう産業革命の時代はとっくに終わったのです。大切なのは、2次世界大戦や3次三陸津波で、2度もひどく被爆した唯一の国の人間として、こどもや他国の人を守ることを今、日本人は自分のチカラとするべきでしょう。(110618)