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しかしまた、現行の国境は周知の事実でもあり、「難民」つまり国を追われた人々が実際に存在してもいるわけだ。難民は、国境がなくては、「もどる」ことが出来ない。かと言って、随時変更可能な国境など、戦時以外には考えられないからこそ、イスラムの人々にとっては、今の時代は、常に戦時なのかもしれない。つまり、「もどることの出来る難民」とは、だれかが、無理やり戦いに勝利し、国境線と平和を取り戻す以外には、存在証明がない。そのことをを象徴するような地中海の密航船の沈没。密航業者による故意だという説もある。そのような多量と表現できる、言葉も文化も違う難民をイタリア国あたりが、とてもじゃないけど養えるはずはない事実。かれらが、今、「もどることの出来る難民」であるはずもない事実。それを考えると、最初から金だけとって、沈めるというセンもありうることになる。別の角度からみれば、事件のあったチュニジアあたりの港から、最も近いヨーロッパであるマルタ島。そう、マルタ共和国だ。狭い東京23区の更に半分という面積しかないが、とても金持ちの島。そこではなく、難民はイタリアを目指すと言う。なぜ? 当然、マルタにも押し寄せるはずじゃないか。そうならないことと、先に触れた仲介業者の行為。なにか関係があるのだろうかとつい思ってしまう。
難民、難民、そして難民。 イスラム、アフリカでを中心に、一体累計どれぐらいの難民がいるのか。去年で5000万近かったらしい。韓国や スペインの人口とほぼ同じだから、例えば、みんなを一ヶ所に集めたとすれば、韓国やスペインぐらいの面積が必要になろうと言うものだ。いい例がある。そのように、放浪するユダヤの民が一つに集まったような国イスラエル。その国民の安寧が、1948年の独立から真に一日として得られたのだろうか。今のパレスチナの民とは違い、「もどることの出来た難民」だったのか。いいや、と思う。 有名な、パレスチナ難民。イスラエルの人々の安寧は、すなわちパレスチナ難民を生むのか。両者の争いのもとが、そもそも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地の所有権争いのように見える。聖地とは、もともと神の地ではないのか。それは、人のものとは違うのではないのか。前に触れた。最初、同じ神をユダヤ教ーキリスト教ーイスラム教の順に、信じる人々たちが分かれただけではないのか。神は一つ。なのに、人々は、手を延べ合うのではなく、殺し合うことになる。どうしてそうなるのか? 無神教の私には、若いころから理解出来ない。まあ、勉強してもいないので、意見を述べること自体が不謹慎かも知れないけれど。
はっきり言えるのは、上記の「ナニナニ帝国」の問題からも、この聖地と2つの難民問題も、国境というヒトの社会生活の根底に関わっていることだ。ヒトは社会を形成する。だからこそヒトの問題であって、神の問題ではない気がする。だれしも理解出来る民族単位の自然なる統括地から、20世紀の最初までに、アメリカやヨーロッパの列強といわれる大国が勝手に決めて来た、不自然な国境までの歴史。だから今拡大を続ける21世紀の新しい大国が、拡張して悪いいわれはない。歴史を見れば。中国しかり、ロシアしかり。それら大国の勝ってと思える行動はしかし、歴史から、異常な行動とは言えない。出遅れて搾取されつづけたが、いまやお金が出来て、力がたまった。さあ、取り返そう。歴史を変えよう。いままでの我慢を捨てて頑張ろう!って考えていけない理由は、どこにもない。
中国が南紗でやっていること、ウクライナでロシアがやっていること、それらは、中東でイスラム国がやっていることの裏返し、いやむしろ同じでもある。 国を拡張するために、20世紀まで、どの戦勝国もやってきた「銃でヒトを殺して奪う」行為。それを21世紀になって正当にやっているのは、イスラム国やロシア。中国などは、銃器を使わないだけ、とても賢いのかも。
けれども、ウクライナはロシアの借金返せで青色吐息。南沙などの美しい海やサンゴ礁が埋め立てられていく。これらも事実だ。 中国が仕掛ける賢いバーチャル戦争。負けそうな国々は、そういう仮想のパワーバランス、つまり、核の後ろ盾と経済力で、「やるなら負けるのはお前らだ」的な仮想の戦争で、その敗北を認めねばならないのだろうか。そして、やや強引に言えば、南紗のことは、すなわち辺野古が、米軍基地のために、美しい珊瑚礁を埋め立てさせられることに同じようだ。皆さん見たことありますか?本当に美しい海なんです。 じゃあ、大国論理にしたがえばいいのか。弱肉強食はしかたないのか。それもまた違う気がする。第一、なぜ環境問題のグリーンピースなどは文句を言わないのだろう。捕鯨反対とかいって、滅茶高そうなボートをつくったりするお金があるなら、南シナ海周辺の、国のGDPの数値だけは上がっているが、多くの人々は、日々暮らすだけで手一杯。そんな人々の生きる環境、サンゴの生きる環境をなぜ守らない。
戦争の形をとらないで、ガマンを強いる形で大国のエゴが通っている今この現代。武器を買うお金が細る経済封鎖は、銃器で暴力を振るう相手には意味があるだろうけど、AIIB(アジアインフラ投資銀行)加盟問題の様に、自分ンとこで出資して、お金の流通を牛耳って、民意を操つろうとするマネーゲームの中心にあるような国々には、とても意味があるような気がしない。
さて、ここでおさらい。すごく簡単に言うと、、