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問題は、漁師だろう。漁師はうみからはなれられない。それは、この最初にもあげた、緊急報告の最後にも書いたように、その場所での復興ということになるだろう。決して逃げられない運命。海からの災害。災害が運命でもある生き方。戻ることにお金をかけるか、新たにするか。セイシェル群島ではないが、日本自体がやがて借金の海に沈んでしまいそうな時であるので、それは、後者の方が日本全体に希望を与えるのはたしかだ。けれどそれでよいか。伝統的な林業や漁業というものもまた、その国の生活や文化なのだろう。海彦、山彦ではないが、豊かな山は、豊かな海を育み、豊かな山や海が人の生活を育む。縄文にから現代までの人の生活圏は、また、自然のものどもの生活圏でもある。そのような連鎖のなかに人の生活は守られたので、貝塚や遺跡は、時代を超えて重なり合う。私の好きな、風野真智雄の文の一説にもそうあった。そこに住めない、というほどの変化がどれほど、辛く醜いものであるかは、もっと人の知るところとならなければならないような気がするのだ。
●0130722  さて、長くなったがレポート第一回のここまででのアセスメント。
 やはり個人であくまで個の医師として自分を全うするか、システムの一部であることの2通りしか選択できない。このことは、最後に他の医師の意見を述べることでくり返されるが、私は、前者つまり個人の医師として動いてきた。一人の職業人としてのボランティア精神というわけだが、なかなか壁がいくつもあるものだ。  草の根の「草」と言う言葉をご存知だろうと思う。この言葉が、実はボランティア精神とよく合う。元来、草とは、 忍者が、素性を隠して各地に潜入、一般人として溶け込み生活しながら目的の遂行をすることだったはず。以下、この言葉は、そういう意味合いで使用する。東日本大震災で大きな被害に遭った岩手県宮古市で、地元の若者たちのボランティアグループが活動を始めたとあった。ボランティアと言うと外来のものの特権のような感じがあるが、地元のボランティアを自分たちで育めるようになれば、かれらの気持ちの上での復興が始まったのだ。ごみ拾いや、こどもの心のケアなどをする宮古のYさんなどの例もふえ始めている。FaceBookを眺めてもこのあたりのところは容易に読み解くことが出来る。一人一人の力がすこしずつまとまり始めた。世代に関係なく。