最初のページ 戻る 次へ 最後のページ 目次

考察2 メタ認知 以上の過程から導かれる事

この34年の私のモットーは「争わず、従わず、自由に」。医師免許さえあれば、どの科も出来る赤ヒゲ医師にあこがれました。けれど、私は、へりの操縦をするので、免許は永久ですが2年1度の技能審査がある。航空安全からは当然ですね。医師にチェックがないのは変だと思います。従って、新専門医制度に反対するつもりもありません。それ以上に、点数のために学会にでるつもりもありません。勉強は、患者さんのために当然しますし。

 先日の小児科総会。私より10才も上ぐらいの杖をついた先生が10分以上おくれ、遅刻席に誘導されるのを見てびっくり。スマホを見ながらのんびり歩く若い医師が誘導されるのは理解出来ますが、当日の会場の構造上、老医師が、10分そこそこの移動時間で移動するのは、トイレを我慢しても無理。誇りをもって地域医療に貢献してきたろう開業医の姿と、専門医制度との間に矛盾を感じた最初でした。我が市に存在する9名の開業小児科専門医がおります。点数のとれる講義に全員出席すれば、土曜日の地方の小児医療はどうなるのか。地域包括医療が心配にもなります。

 今日の報告をつくりながらのメタ認知。AIロボットからの連想。私にとって、診療録はメモで想起の引き金。エピソード記憶で保持->想起に至り->参照され確かな記憶になる過程は、証明されています。

 また、脳が主記憶媒体で、カルテは補助記憶および主記憶への割り込み指示媒体。この記憶様式は、現行IT技術では、完全模倣は無理で、改善のヒントは、例えばLINEなどのスタンプ。「情報へのリテラシー」の工夫。シンボル利用による言語外認知、想起です。

 職能を第三者が評価する行為クラスと、基準を共通化、数値化する行為クラスは、違うクラス。言語による意味記憶優位のリテラシーは、上述から時代錯誤? ナスカの地上絵のようなメモ書く先生は、評価しにくいからと不合格?

 医師、特に開業医は、患者さんにとって「良い医師」か「薮」かであり、点数(=テクスト、比較しやすい情報)は、評価者にだけ意味があり、個々の先生の多様性と想像力の評価ではない。

 今回のプログラム作成で、ポートフォリオ作成は、editingではなく、composeということで、このようなことなどもつい考えてしまいました。 これらが、今回の試みから得たメタ認知です。