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CQ-6 結果:学校訪問例の1

解答:中学3年男子 。主訴は不登校。あすなろ被災地区

経過 T君は、小5で被災。2人兄弟の兄と母をなくす。中学1年より不登校となる。入学してしばらくして、自分が、60余人いる同級生で、非常に小さい存在と感じられ、いてもいなくてもよい存在と感じたと頃から教室に入れなくなったと言います。2年生になってからは、教頭初め教員の働きかけなどもあって,放課後の時間に学校をのぞくようになり、3年生から保健室には入れるようになったところで相談開始となりました。父親は高校教師だが、本人とはあまり会話せず、もっぱら本人は、学校においての、擁護教員、カウンセラー、担任、教頭などの干渉により、次にのべるQ君と支援学級にて生活や会話をすることで立ち直りの足がかりを得ている生活であります。

面談:方式は、学校訪問で、支援学級での面談のみ。 診断としては、当初PTSD、自我同一性の障害で良いと思われました。面談のみで薬剤は不使用とし、計3回の面談のみで改善は見られたが、東日本大震災みやぎ子ども支援センターでの訪問事業のため、時間は限られ、当然なことながら、次の問題点が最も大きかったです。

1)中学三年生2学期なので、卒業をしなければならない。2)お母さんが戻るわけではない。

以上について、生物社会心理学的アプローチとしては、できるだけ、震災のことに触れず、症状の一つ一つを2名で考えて見るようにしました。本人に、現実を受け止められるような変容を期待して話し合いました。非常に小さい存在と感じられた背景には、愛着の対象が突然消失したための不安があります。自我の確立に必要な存在の喪失を強く感じたが、これを話題にすることはありませんでした。ただ、誠実に自分の存在を肯定できるように話を聞きました。

考察:結果的に、もう一人Q君と一緒に、支援学級で個別に勉強をさせ、学校としての単位を得させ、無事に卒業および、高校受験に成功できました。 しかしながら、彼とのコンタクトは十分とは言えませんでした。家族orientedであったとはまったく言えず、この方式の大きな反省点です。

 変容の成功は、むしろ本人からで、擁護教員が、部屋に残ることを希望したり、Q君という喋ることの苦手な友人が一緒にいたりと、環境の違いに緊張するこちらへ、気遣って喋ることから、自分の立ち位置を客観視できるようになり、2回目からは、「面談をさせてあげる」気遣いをしてくれるように感じられました。自分を客観視し、状態の把握を冷静にできるようになって、自我の確立が急に進行しました。相談をする医師としては、住環境、家族環境の観察なしで行わざるを得なかったことは問題でした。 結果としては、誠実に可及的最善の提案を行っていれば、被相談者本人が受容してくれました。

参考;http://www.doctorhelico.net/Miyako/bosa03_n.html  

参考;「続・松島レポート」http://www.doctorhelico.net/gakkai/Gair24/MatusimaRep2/matusimareport2.html